禅は、昨今、大変注目を浴びています。
かのスティーブ・ジョブズが禅の愛好者であったのは有名な話です。
朝活に坐禅をされる方もいます。雑誌でも取り上げられることが増えています。
禅を取り入れた教育プログラムや、プレゼンテーション手法すら登場。
個人的にも、日々のちょっとした生活の中で、心の乱れを感じることが多く、
ずっと「いつか坐禅を体験したい」「坐禅をして自分も見つめなおしてみたい」と思っていました。
そんな折、カルチャーセンター徳島様よりお声がけいただき、「坐禅 -The Zen 自分を忘れる-」体験レッスンに参加させていただく機会をいただきましたので、そのレポートをさせていただきます。
「自分を見つめなおす」ではなく「自分を忘れる」。
禅においては、自己すら確固としたものではないのでしょう。
部屋に入る瞬間から既にちょっと緊張していました。
「坐禅 -The Zen 自分を忘れる-」は朝10時からスタート。
開始時間に教室に向かうと、20名ほどの方が、座布団を敷いたり、教材を並べるなどして既に準備をしていました。
講師の山本公学先生も既にいらっしゃいます。
「坐禅 -The Zen 自分を忘れる-」の大まかな流れは以下の通りです。
・般若心経読経(10分ほど)
・坐禅(25分ほど)
・講義
予定時刻通りに講座開始です。
最初に、いただいた教材を見ながら、皆で般若心経を読みます。
続いてすぐに坐禅がスタート。
「今日は25分、坐禅をしてみましょう」と山本先生がおっしゃいます。
残り時間をめいっぱい使って、1時間ほど座るのかと思っていたので、最初は「意外と短いな」「せっかくだし、もっと長時間、坐禅したいのに」などと思いました。
が、この後すぐに、自分は坐禅の厳しさを思い知ることになります。
参加者全員で一斉に目の前に礼。
続いてくるりと時計回りをし、反対側を向いて礼。
その場にそのまま座り、準備をし、先生の鉦の音を合図に坐禅スタートです。
座布団が用意されているので、これを使って坐禅をすることになります。
足の悪い方は、椅子に座っての禅となります。
(講義で使用した教材。「いす坐禅」という方法もあります)
事前に練習こそしていませんでしたが、「坐禅とはこういうものだ」というイメージは持っていました。
曰く「何も考えない」。
「何も考えない、ということすら考えない」
「……ということすら考えない」。
何もしない(ということもしない)のが坐禅、主に精神的な集中をする、というイメージです。
ところが、実際に坐禅を組んでみると、思っていたのとは違いました。
「何もしない」というよりも、しっかりちゃんと「座る」。
まずは、そのことに25分間集中し続ける時間なのです。
目を閉じて、足を組み、背筋を伸ばし、頭をまっすぐにし、リラックスして……と、言ってみれば「それだけ」なのですが、その「それだけ」が難しい。
「頭をまっすぐにする」と言っても、目を閉じていますから、「まっすぐ」かどうかが自分ではわからない。
もちろん自分ではまっすぐにしているつもりなのですが、どうやらそうはなっていなかったようです。
山本先生が手を添えて、姿勢を直してくれました。
それで、今までの自分の座り方が曲がっていたことに気づきます。
「頭をまっすぐにする」。
本当にただそれだけのことが自分ではできているつもりでも、できていない。
今度は10分もしないうちに、足は痺れ、腰は痛くなり、背中が曲がってきました。
そのことが自分でもわかるのです。
「きっちり丁寧に座ろう」とそのことばかりを考えるのですが、それすら上手くいきません。
普段、仕事のこともそうですし、家のこともそうですが、自分では人並みのことができていると思っていました。
あまつさえ、他人に対して「できていない」と説教や文句さえしばしば言っていました。
が、こうして見るとよくわかるのは、自分は「座る」ということさえ、これまで丁寧にできていなかったことを痛感するのです。
しばらくすると、山本先生が後ろにやってきて、肩越しに
「警策(きょうさく)を入れさせていただきます。よろしいですか」
とおっしゃいました。
小さく頷くと、ピシッ! 右肩を叩いてくださいました。
肉体的にはそこまで痛くはありませんでした。が、自分の至らなさに情けない思いになっていたところ、この警策は堪えました。
それから長い時間が経ったように感じました。
もう一度、鉦が鳴り、ようやく坐禅終了です。
山本先生が「痛くありませんでしたか」と聞いてきてくださいました。
自身の至らなさを痛感していましたので
「心が痛いです」
とお答えしましたが、他の参加者の方はちょっとしたウィットと取ってくださったようです。
ややウケでした。
坐禅が終わると、講義の時間です。
曹洞宗の生活について山本先生が解説してくださいました。
今回は食事のお話です。
曹洞宗では応量器という器を使って食事をします。
その食事の作法、ルールは、食べる物から、食べ方、食器の使い方、手入れの仕方まで1つ1つ、細かに決められているのですが、これも「生活、そのすべてが修行である」との曹洞宗の教えだそうです。
「仏の教えを理解し、悟っている者が、食事作法1つままならぬ、ということがあるだろうか。そんなことはありえない」というのが、曹洞宗の開祖道元の教えであるとのこと。
たった1回、25分程度ですが、坐禅を体験し、「座る」ことの難しさを痛感した後であればこそ、このお話はすっと自分の胸に染みこんできました。
90分の講座が終了しました。
最後にとあるご参加者が「先生と写真を撮らせてください」とおっしゃり、記念撮影をいたしました。
快く応じてくださる山本先生。
今後も生活をする中で、奢った想念が生じはじめたら、今日の坐禅体験と先生のお話を思い出し、謙虚に、丁寧に生きることを心がけたいと思いながら、教室を後にしました。
(講師の山本公学先生、ご参加者の皆様と記念撮影)
山本先生。ご参加者の皆様。お世話になりました。
(文責:森哲平)
森様、貴重な体験レポートをありがとうございました。
何も考えずにただ坐る、その先に見えるものは、
きっと、日頃の慌しい時間の中では得られないもの。
月に1度、日曜の朝。
喧騒から離れ、背筋を伸ばし、心をリセットしてみませんか?
どなたでも気軽にご参加いただける坐禅講座です。
☆坐禅-The Zen 自分を忘れる-
開講日/日曜日 10:00~11:00
講 師/曹洞宗僧侶 山本公学 先生